全国区では有名でありませんが、走高跳の現在でも兵庫県高校記録2m16㎝を持っている、織田久史選手について記事にします。
実は中学時代に織田選手が市内大会で走高跳出場していたのを生で見ました(ご本人とは特に面識はありません)。この時は足を痛めていたとのことで、1m77㎝(だったと思うが、30年ほど前なので不正確です)で3位に甘んじていました。
当時兵庫県の明石市走高跳界では、植田、織田、清水という3強がいて、この3名が190㎝オーバーの記録を持ち、4位以降は160㎝台と言った状態のため、3強が最初の高さを跳ぶ頃には4位以下が誰も残っていない、という状況でした。
中学時代のベストは、ネットに残っている市内記録や大会記録の資料を整理する限り、植田1m94、織田1m94、清水1m93だったようです。この3強が兵庫県大会くらいまでは上位3人を占めており、他の人が入る余地もありませんでした。さすがに近畿大会とかになると2mジャンパーも存在しており、独占できなかったようです。
中学時代は植田選手が最も大会の成績が良く、記録が見つからないので、はっきりした順位はかけませんが、全中でも入賞していたように思います。高校1年の時には2m05を跳んでいます。清水選手は見た印象、ややずんぐりした感じで、走高跳がそんなに跳べそうな感じではなかったのですが、3種競技の100mでは11秒9で走っていて、結構びっくりしました。そして、織田選手は2番手というイメージでした。
そして、織田は魚住中学から明石西高校へ進学し、高3の時に兵庫県高校記録の2m16㎝をマークします。これも1989年の記録ですが、30年近くたった2015年現在でも破られておりません。高校の時は陸上競技していなかったので、リアルで織田選手を見ることはなかったのですが、176㎝の身長で頭上40㎝を超えるというのはすごいことです。
大学も女子走高跳佐藤恵らも通った、名門の福岡大学へ進学したようですが、大学走高跳20傑内に残っていないので、大学では走高跳をやらなかったのかもしれません。
今まで記事に取り上げてきた日本の走高跳トップの方々は結局苦難の道に挫折したり、別の道へ転向したりといった暗い話しかありませんでした。しかし、織田選手はなんと、株式会社ダイハツ明石西の社長さんとしてご活躍されております。色々と表彰を受けたりしており、非常に優秀な経営者として、違う道でも立派に生きていかれております。