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リオ・オリンピック

リオデジャネイロ オリンピックが終了してから今頃感想を書くところが非常識で話題に乗り遅れております。
金メダル12、銀メダル8、銅メダル21ということで、各競技の方々はご苦労様でした。

陸上競技の方は室伏が引退した現在、あまりメダルの狙えるような競技は無かったのですが、その中、男子400mリレーの銀、男子50㎞競歩の銅獲得という素晴らしい結果がありました。特に男子400mリレーでは100mで全員準決勝までで敗退した、9秒台の選手ゼロの中、なんと、アメリカに競り勝ち、37秒60という記録をたたき出したところなど、マスコミの感動ストーリーのオンパレードでした。

しかし、本ブログでは全く誰も注目していないであろう、陸上フィールド競技について記載します。
日本選手も男子走高跳、三段跳、棒高跳、やり投げ、十種競技、女子走幅跳、やり投げと選手を派遣しておりますが入賞は棒高跳澤野の7位入賞のみのため、日本のネット上では『金の無駄遣い』『こんなの派遣するな』等、心無い誹謗中傷コメントにさらされてしまいました。実際派遣された選手が突破した参加標準記録は本番でマークすると決勝進出できるレベルの高い記録なので、そんな簡単に達成できるものではありません。
また、フィールド競技の場合、トップ選手といえども、学校を卒業してしまうと、雇用してくれたりスポンサーになってくれたりする企業はスズキや富士通など一部の企業を除くとほとんどありません。かつて陸上部でフィールド競技も力を入れていたモンテローザも不況のため陸上部廃部となる惨状です。
この状況の中、フィールド競技出場された皆様には厳しい環境の中、努力されたことを称えたいと思います。

この後は本ブログで重点的に取り上げていた男子走高跳について書いて行きます。
競技前の予想としては、カタールのバーシム(ベスト2m43)、ウクライナのボンダレンコ(ベスト2m42)のツートップと自己ベスト2m40のカナダのドルーイン辺りが普通に考えると強く、続いてアメリカのキナードの優勝争いになるだろうと思いました。しかし32歳のバハマのトーマスが今季2m37の自己ベストをマークしており、記録的には優勝争いに入ってもおかしくないのでしょうが、正直安定感がないので、難しいだろうという予想です。
中国の張国偉がベスト2m38で、今季も2m33を含め安定して2m30以上を跳んでいるのでダークホースかな、といった感じがしておりました。
日本からは以前に記事にもした衛藤昂選手が登場しました。日本選手権で見事2m29の参加標準を1位で突破し、オリンピック初出場を決めました。日本選手の中では一番安定感のある選手で、筑波大大学院修了後、故郷にあるAGF鈴鹿に就職されています。
最初の高さ2m17は良い感じでクリアします。しかし次の2m22で3回失敗してしまい、初めてのオリンピックは予選落ちで終了となってしまいました。世界のトップクラス選手が集まるオリンピックで、周りが軽々超えていく雰囲気などに呑まれてしまったのかもしれませんが、将来的にダイヤモンドリーグに出られるような活躍を期待しております。

リオ・オリンピックの予選通過記録は2m31に設定されておりましたが、2m29の段階で全員試技終了し、15人が決勝進出を決めました。走高跳の場合、通過記録設定があっても、大抵もう少し低いところで12人以上拾える辺りで談合が行われるようです。バーシム、ボンダレンコ、ドルーインは当然のようにノーミスで決勝進出し、大体めぼしいところも予想通り決勝進出を決めましたが、張国偉が予選落ちしたのは意外です。
トーマスも2m17のジャンプはかつてのデビュー当時話題になった空中三段跳び風フォームでしたが、2m22以降はちゃんとした標準的フォームになっていたのでやや残念です(というか、そりゃずっと練習してるんだからフォームもいくら何でも洗練されてきますよね)。

決勝はドルーイン、バーシムがノーミスで2m33までクリアしていきます。ボンダレンコもいつもの通り、2m25の後、2m29パスで2m33も1回でクリアします。他にボンダレンコと同じウクライナのプロチェンコ(ベスト2m40)、イギリスのグラバーズ(ベスト2m37)が続きます。ジャンプ的にはグラバーズの空中で二段階に切り替わるようなクリアランスが個人的に好きですが、3強に勝つのは何となく難しそうな感じです。プロチェンコも2m33辺りで結構ぎりぎりのクリアで、厳しくなってきました。キナードも何とか3回目でクリアします。
次の2m36をバーシム、ドルーインは1発クリア、プロチェンコ、グラバース、キナードが3回失敗して脱落します。この時点で2m33までノーミスで2m36をパスしているボンダレンコ、バーシム、ドルーインのメダル以上が確定しました。
しかし、いつも思うのですが、ボンダレンコの今季2016年度のベスト2m37なのに2m36をパスして2m38に挑戦するって無茶じゃない?
2m38はドルーインが一発クリアし、バーシムは3回失敗、ボンダレンコは2回失敗して、パス。2m40をボンダレンコが失敗した時点で、ドルーイン金メダル、バーシム銀メダル、ボンダレンコ銅メダルが確定します。
ドルーインも2m40に1度は挑戦しますが失敗し、後は棄権となりました。

リオオリンピック走高跳はほぼ順当な結果となりました。ロンドンの銅メダリストであるドルーインとバーシムがリオではメダルの色を変えて獲得しました。
しかし走高跳決勝進出者の身長で一番低いのがオーストラリアのスターク188㎝で、バーシム190㎝が小柄に見えるという恐ろしい世界です。日本人で世界に戦うには戸邉選手並の身長がないと難しいのでしょうが、高身長の逸材は大抵バスケかバレー、野球に行ってしまうため、この競技でメダルを取るのは相当難しそうです。可能性があるとすれば、ハーフ選手で高身長遺伝子を受け継いでいる人が走高跳を選んでくれるか、野球のエース級で190㎝オーバーの人材をどこかでスカウトしてくるくらいしかなさそうですが、野球の高年俸を捨てて、陸上競技フィールド種目へ苦労してまで来る人がいるとは思えません。この種目で本当にメダルを獲得してほしければ、スポンサーになるなり、競技を見に行くなりして、人気・知名度を上げ、広告宣伝を獲得できるような状況を作り出すことが先決でしょう。

走高跳(衛藤昂)

今回は世界陸上にも出場した衛藤昂(えとう たかし)選手について述べる。

北京世界陸上では残念ながら2m22㎝で予選を通過できなかったが、バーシム、ボンダレンコといった2m40を超えるジャンプを見せていた連中でさえ決勝2m33㎝しか跳べなかったのを見ると、2m28ベスト(※北京世界陸上時点であり、2016年に2m29に自己ベストを更新した)の衛藤がそのくらいの記録でも、厳しい言い方をすると、順当通りでもある。

衛藤は三重県の白子中学から、鈴鹿工業高等専門学校へ進み、同高専の専攻科を経て、人間総合科学研究科
体育学専攻へ入学したという、エンジニアから体育を極めに来た変わり種である。現在は大学院を修了し、AGF所属である。
小学校6年生の大会で走高跳を優勝する。そこから走高跳を本格的に始める。中3で1m71をマークする。
高校進学時には祖父が鈴鹿高専の陸上部の顧問をしていた等の縁があり、その他諸々の要員も含めて、鈴鹿高専に自身も進学することになる。高専入学した1年目に東海総体に出場するも、記録なしに終わる。公式練習で自分のベストに近い高さをはさみ跳びで軽々跳ぶような選手をみて、ショックを受け、冬場には基礎体力重視の練習に専念した。また走高跳専門の先生らの指導を仰ぎ、高専2年の時にはベストを22㎝更新し、2m02までマークする。大きな大会では、全国総体出場、日本ユース5位入賞、全国高専優勝という成果を得た。
高専3年時には、全国総体2m06で3位入賞、日本ジュニア選手権2m06で3位入賞、全国高専大会では走高跳と110mHの2種目に出場し、走高跳は2位と17㎝の大差をつける2m07で優勝、110mHも15.53で4位に入る。
高専4年時には、全国高専大会で2m13の大会記録で優勝し、ベスト記録を2m19とする。
高専5年時には、2m18。ここで、大学編入も考えられたが、同一環境で練習できる専攻科へ進学し、高専6年目で2m20の大台を突破する2m24、高専7年目で2m20を記録する。
鈴鹿高専を卒業すると、走高跳の名門筑波大学大学院の人間総合科学研究科体育学専攻へ入学することになった。ここでは既に戸邉選手が第一人者として走高跳を極めようと日々努力していた環境で、切磋琢磨することになった。
大学院1年には2m27をマークし、国体優勝、日本選手権2位、大学院2年にはアジア大会2m25で5位、日本選手権2m22で優勝を果たす。筑波大学大学院卒業後AGFへ入社し、2015年5月3日の静岡国際では2m28の北京世界陸上の参加標準記録を突破する。そして日本選手権で2m26で戸邉と同記録ながら2位に入り、北京世界陸上への派遣が決まった。世界陸上は冒頭に示した通りである。

身長183㎝で戸邉に比べ恵まれないが、それでも、安定した跳躍技術と、110mHも14.47で走る走力を生かし、2m30オーバーのジャンプをできると思うので、今後に期待したい。現在2m28を超える選手が現役で4人いるので、切磋琢磨して、東京オリンピックの参加標準をクリアし、フィールド競技を盛り上げていってほしい。

※衛藤選手は2017年4月16日の三重県国体予選一次選考会でついに2m30をクリアすることが出来たようです。おめでとうございます。何か上の方で辛口コメントしてますが、是非これからも頑張って日本記録更新目指してください。

参考:
http://pdfbooksgrey.org/k-28903309.html
http://mierk.jp/myBloggie/index.php?mode=viewcat&cat_id=7&pageno=15&limit=5

 

走高跳(平松祐司)

北京世界陸上が終わり、しかも2m17㎝で予選通過に必要な2m29まで届かず、世界陸上前はTVで話題になりながら、終わった後はすっかり忘れ去られたかのようになってしまった平松祐二選手について取り上げる。
この一般とは違った時期に特集してしまうのが本ブログの特徴である。

もちろん、上記のように厳しいような書き方をしているが、身長185㎝と世界の走高跳選手的に言うと小柄の部類になってしまうが、彼には非常に期待しており、将来性も十分だと思っている。
平松選手は京都府の男山東中学時代はサッカー部であり、足が速くなりたいということで陸上部の練習に参加させてもらっていたところ、身長が高いから、との理由で走高跳をやることになった。(実は小学校6年の時に走高跳で大会に出場し125㎝だったが、特に、その後は中3までやることもなかったようである)。京都府の大会では1m73を跳び4位に入っているが、1位藤林、2位田中が1m91を跳んでいるのと比較すれば、全国大会に出場したわけでもなく、全く無名状態であった。普通なら、これで走高跳に見切りをつけ、本業のサッカーに専念する所だったが、『お前は高校で日本一になるから』と言われ、西城陽高校では陸上を本格的に始めることになった。
それが高校1年になり、190㎝台の記録をすぐに安定して出せるようになる。また2m07をマークしインターハイ7位となり、中学時代は雲の上の存在だった藤林、田中の記録を追い抜いてしまった。
高2でインターハイは2m10で4位入賞、高3では2m19を跳びついにインターハイを制覇した。その勢いで、秋の国体ではついに2m20の大台に達した。これは日本高校歴代6位タイであった。まさしく、言われた通り高校日本一になってしまった。

走高跳と同時並行に三段跳びも行っており、高3で15m23を跳び、インターハイ4位に入っている。
クリスチャン・オルソンと同様に三段跳びにも非凡な才能を示した。意外とこの二種目は相性が良いようである。

そして大学では今や走高跳の有名選手が集う筑波大学へ進学した。普通は1年生の段階ではあまり高3の時の記録を上回ることが少ないのであるが、彼は大学1年の関東インカレで2m28とベストをいきなり8㎝も更新する記録で優勝し、北京世界陸上の参加標準記録を突破してしまった。その後はTVでも話題となり、一躍注目を浴びることとなった。日本選手権では2m23で3位に入り、同じく標準記録を突破していた高張選手を抑え、戸邉、衛藤に次ぐ北京世界陸上第3番目の枠を確保し、筑波大関係者で独占することとなった。

世界陸上の状況は最初の男子マラソンや10000万メートル、競歩の段階で既に悪い流れになり、全般的に日本勢の成績は低調であったが、走高跳も同様、3人とも予選落ちとなった。
こうやって書くと、最初の勢いが良ければ予選突破し、入賞できそうな感じがしてしまうが、正直言えば、戸邉がベストに近い状況で何とか予選を超えて、上手くいけば8位以内に入れればいいくらいの記録、衛藤、平松は上手く2m28とかあたりの自己ベストまで1回でクリアして何とか決勝に行けるレベルであった。なので、結果面についてはそんなに言うことはないが、世界のレベルを実感したことで、何が不足しているかが判明し、今後の自分の跳躍に足りない物を身に付けていき、戸邉のようにダイヤモンドリーグ等世界の強豪と競い合っていけば、まだまだ記録も伸ばして、勝負強さも身につけられると思う。

是非とも、東京オリンピックの頃には走高跳で決勝進出できるのが当たり前と言われる2m30台中盤から後半の記録をコンスタントに出せる選手に成長していただきたい。

参考
http://sports.yahoo.co.jp/sports/athletic/all/2015/columndtl/201506230003-spnavi?page=2

走高跳(戸邉直人)

世界陸上北京大会も始まり、多少なりとも陸上競技にも興味を持たれるだろうという予測の基、ひょっとしたら、注目を受ける可能性のある走高跳日本代表選手について、述べておくことにする。
この競技、近年は、オリンピック、世界陸上等の国際大会で活躍した日本人選手は体格面での不利なためか皆無で、戦前を除くと、女子で1992年、佐藤恵がバルセロナオリンピックで1m92を跳び7位入賞したくらいしか実績がない。

2m30台中盤の記録を出せば世界制覇できるという低迷期を乗り越え、2m40以上の記録を超える選手が急増し、アウトドアで2m40以上の記録を現在では12人がマークしており、そのうち、5人が2014年には2m40オーバーの記録をマークしている(他にもインドアを入れるともう1人2m40を超えている)。
この状況に対し、2006年に醍醐が2m33の日本記録をマークしたものの、君野の歴代2位の記録はなんと1993年と22年前の記録であり、日本走高跳界も暗黒状態にあった。しかし、この状況下、戸邉2m31と日本で5人目の2m30ジャンパーとなり、江藤2m28、平松2m28をマークし、この筑波大関係3人が標準記録を突破し、北京世界陸上代表となった。さらに、長い間日本の第一人者であった高張も2m28の自己記録をマークしていたものの、代表を逃すというレベルアップとなった。

その中でも、2m30以上を既に4回マークしており、記録上では他の日本人選手をリードしている戸邉直人選手に注目してみる。
彼は走高跳で必要とされる身長も193㎝と長身であり、体格的にも恵まれている。
野田市立中央小学校4年から走高跳を始めた。野田二中の中学入学時には1m50の記録だったのが、中3では一気に才能が開花し、関東大会の大雨の中1m97を跳び、全国大会も制覇してしまう。
専大松戸高に入学し、高1の時の全日本ユースでは2m08で2位に入り、注目を浴びることとなった。高2で優勝を目指した高校総体の際、肺に穴が開く気胸を発症し、決勝の途中で棄権した。しかし、高3のインターハイでは2m10を跳び、他の選手が全て脱落したことにより優勝を決めると、一気に2m18までバーを上げると、それもクリアし、他の選出との格の違いを見せつけ、圧勝した。2m23の日本記録へバーを上げ挑戦したものの、この時は失敗したが、後に、高校在学中の2009年に2m23の日本高校新記録をマークし、1989年境田の2m22の高校記録をなんと20年ぶりに更新した。
大学は陸上の名門筑波大学へ進学した。大学時代は高校の活躍からすると記録が伸び悩み、ようやく、大学4年で2m28をマークした。
そして大学院進学し、ヨーロッパを拠点とし、活動。ダイヤモンドリーグにも参戦し、レベルの高い選手と競いながら、2m31までベストを伸ばす。大学院では自らを実験台とし、走高跳を極め博士号取得を目指す文武両道タイプである。

海外での試合経験も豊富であり、一流選手との交流もあり、特に北京世界陸上で緊張することもないだろう。他に筑波大学で一緒に練習した衛藤、平松がいることも心強く、走高跳で入賞できるチャンスも大きいと思われる。

※北京世界陸上では残念ながら2m26で予選落ちとなったが、シーズンベスト2m29からすると、ある程度順当な所に落ち着いてしまったのかもしれない。ただ、制空距離も頭上38㎝と、まだジャンプが完成している感じではないので、東京オリンピック辺りで大化けするのを期待している。

走高跳(イワン・ウホフ)

イワン・ウホフ(Ivan Ukhov:ロシア語表記はИва́н Сергее́вич У́хов)は1986年ロシア生まれで、身長192㎝ある。
この身長から生粋のハイジャンパーのように思うが、7歳から16歳まではバスケットボールをしており、地域で一番の選手だった。16歳の時、バスケットのコーチと口論になり、個人競技ということで陸上競技を選んだ。その時、ガタイも良かったため(今でも走高跳選手の割にはがっちりしている)、最初に円盤投げをすることになった。1年後走高跳に出会い、コーチもなしに、2004年にロシアジュニア大会で2m12㎝を跳び勝利する。その時点で円盤投げは辞めてしまい走高跳に専念することとなった。翌年2005年には2m30をクリアし、2009年には史上11人目の2m40ジャンパーとなった。現在の屋外ベスト2m41、屋内ベスト2m42であり、世界ではバーシム、ボンダレンコと並び、走高跳3強と言ってもよい存在となっている。
2012年のロンドンオリンピック決勝では、他の選手が記録低調のなか、ただ一人やけくそ気味にバーを2m36、2m38と失敗しながらも上げてくるエリック・キナードを軽くいなし、2m38をただ一人クリアして圧勝して、金メダルを獲得した。

彼のジャンプの特徴はものすごい背中の折り方を行い、それを強靭な背筋力で引き揚げ、とてもクリア出来なさそうなところからバーをクリアしていく点にある。あのバーの上でのクリアランスは誰も真似のできない領域にある。

ウホフのシューズは普通の高跳び選手の使うものではなく、他のスプリント系選手の使う、踵にピンの無い物を使っている。このため、踏切足のグリップ力が弱く、雨の状況では力が出しにくい。そのため、天候を気にしなくてよい屋内競技の方が安定してハイレベルの記録が出せている。

ウホフにはシューズ以外にも色々エピソードがあり、話題には事欠かない。
・ロンドンオリンピックでユニフォームをなくす
オリンピックで同じく決勝に進出したロシアのシルノフからTシャツを借りて出場するというハプニングに見舞われる。しかし、そんなことをモノともせず、金メダルを獲得した。
・2008年陸上ローザンヌ国際の大会で飲酒により出場停止措置を受ける。

走高跳(クリスチャン・オルソン)

クリスチャン・オルソン:1980年生まれ、スウェーデン出身。身長192㎝の長身で、2003年世界陸上三段跳、2004年アテネオリンピック三段跳びの金メダリストである。
何故、走高跳の話題なのに、三段跳の選手が登場するのか? それはオルソンが元々三段跳ではなく、走高跳の選手としてキャリアをスタートしたからである。10歳で陸上競技を始め、11歳で走高跳1m49、14歳で1m79とそれなりに記録を伸ばしていった。
スウェーデンの国民的英雄パトリック・ショーベリーを育てたビィルヨ・ノウシィアイネンの指導を受けるようになり、さらに走高跳に対し、こだわりを持つようになった。しかし、その思いに反し、18歳にしてようやく2m04と大台超えを達成するスローペースの成長であった。しかし、19歳のとき出場した三段跳びで16m27を記録し、三段跳でも非凡な才能を見せた。走高跳も2m22をマークし、急成長を遂げた。
そんな中、コーチのノウシィアイネンが急死し、オルソンよりわずか2歳上のヤニック・トレガロが選手を引退し、コーチへと就任。2000年には16m97、2001年には17m49と大幅に三段跳びの記録を伸ばし、もはや走高跳専門で三段跳をやる、というよりか、三段跳が専門で走高跳もできる、といった感じになってしまった。この後も、コンディション調整が難しい三段跳びで17m台をコンスタントにマークし、世界記録保持者のジョナサン・エドワーズを試合で破るなどし、三段跳のトップ選手として認識されるようになった。こうして、走高跳のオリンピック出場はかなわなかったものの、三段跳では見事アテネオリンピックで17m79をマークし、金メダル獲得した。

オルソンは結局、三段跳17m79、走高跳2m28(インドア)、走幅跳7m71という跳躍3種目で高い能力を発揮した、稀有の才能の持ち主であった。人間の適正というものはやってみると、意外なところで発揮されることもあるものである。一つのことが上手くいかなくても、他の分野なら成功するかもしれない、という教訓であろう。

参考:『種目変更で世界王者に 三段跳びのプリンス――C・オルソン
Quest for Gold in Osaka
』http://sports.yahoo.co.jp/sports/other/all/2012/columndtl/200812020009-spnavi
IAAF 『Christian Olsson』http://www.iaaf.org/athletes/sweden/christian-olsson-172059

走高跳(真鍋周平)

現役国立大学生、それもスポーツ推薦とかではない一般入試で進学した大学生が2m25をマークし、2004年のアテネオリンピック出場を賭けて、参加標準2m27をクリア出来るかどうかが一時期TVでも話題になるほどであった。
結果としては2m27をクリアできず、オリンピックは夢と化したが、色々な面で話題となったものの、今では誰も取り上げる人はいない。有名になるのは一瞬だが、注目もされなくなるのはあっという間という、世知辛い世の中である。

その人、真鍋周平選手は1982年、香川県に生まれた。身長187㎝の長身であり、走高跳をしていたから長身になったのか、長身だから走高跳を始めたのかは定かではないが、日本人としては比較的恵まれた体型である。
なんと小学5年生からすでにこのマイナーな走高跳を始めており、この時で1m43㎝の香川小学校記録(小5での)をマークしている。
このまま順調に2mジャンパーに、と思ったのだが、中1で165㎝、中2で176㎝と普通の人ならなかなかの記録ではあるが、小学校から天才的記録をマークしていた真鍋選手としては、予想より低調な記録であった。何せ、早い人なら、中2で2mを超えている人もいるからである。彼のHPなどを見ると、この時代は自分の身長以上の高さを超えられるようになるとはとても思えなかったようである。
しかし、中3に入り、走高跳で有名な方に少し指導を受け、踏切距離を遠くするなど、アドバイス通りに練習したところ、あっという間に2mを超えるようになり、2m04までマークした。これは1986年に2m07を跳んでしまった船橋弘司がいるため、香川県記録を破ることができなかったものの、香川県の中学歴代2位、日本中学歴代12位の記録である。
高校に入ってもますます記録を伸ばし、高3では2m20の2015年現在でも歴代6位に残る記録をマークした。もちろん香川県高校記録であり、当時の高校生の中ではぶっちぎりの記録であり、インターハイも何の問題もなく制覇した。

当然、走高跳歴代に残るような記録の持ち主であるため、各陸上有力校から推薦が多数来たが、香川県の進学校である高松高校に在籍していたため、一般入試で大阪大学工学部に現役合格した。(のちに、弟も大阪大学に進学する。彼も走高跳をしていた)。受験勉強によるブランクのため、入学後は記録低迷したが、あまりスポーツに力を入れていない国立大学の劣った環境下においても、独自の工夫で練習し、大学3年の時には日本人トップの2m25㎝の記録をマークした。ここから、オリンピック候補と注目され、しかも大阪大学という難関大学在籍していることから、TV的には美味しい、ということで、取材を多く受けるようになってきた。応用物理学科であり、走高跳のクリアランスを力学的に解析し、頂点をバーのやや手前にした方が高い高さをクリアできるという結果を算出するなど、今までのスポーツ選手にないクレバーさが話題になった。
結局はオリンピック出場はかなわず、大学院修士課程修了後はトヨタ自動車へ就職。その後も試合に出場するも、練習十分でないためか、何とか2mを超える程度の記録にとどまっている。

しかし、走高跳への愛情はすざましいものがあり、走高跳の理論書を自ら編纂し、HP上で公開を行っている。当時まともな技術書などほとんどなかったので、本書が優秀な日本人ハイジャンパーの輩出に役立てられ、我々の期待に応えられる選手が多く生まれることを期待している。
真鍋周平選手の走高跳理論関係HP⇒満天下別館

走高跳(ジェシー・ウィリアムズ)

走高跳シリーズはまだ続きます。
2011年韓国大邱(テグ)世界陸上の走高跳を2m35で制覇したのはアメリカのジェシー・ウィリアムズでした。身長183㎝、ベスト記録2m37ということで、低迷していた走高跳界にあっては超一流の選手でした。小柄なだけに、助走スピードを生かした、珍しい右足踏切の選手です。
大邱世界陸上では2m35までノーミスでクリアする安定感を見せました。
この記録は今の2m40台連発の時代からすると低調に見えますが、2000年代に入ってから、ヴォロニンがアウトドア、ホルムがインドアで2m40をマークした以外、2m40に近づく者さえいなかった頃のため、それなりの好記録でした。
ウィリアムズはノースカロライナの高校時代にはなんとノースカロライナ州のレスリングトーナメントで5位に入っております。走高跳というと、細身で華奢なイメージがありますので、格闘技をやっているというのはギャップがありすぎです。

これだけ世界一の称号を獲得し、普通でない競技経験をしながらも、日本のWikiでは記載すら全くない、というのが、走高跳という競技のマイナーさを物語っております。

走高跳(ステファン・ホルム)

前回、ドナルド・トーマスの話を書きましたが、やはり、ライバルとして取り上げられていたこの人の話は避けることができません。
ステファン・ホルムは偉大なるハイジャンパーであるパトリック・ショーベリーを生んだスウェーデン出身です。幼少の頃から走高跳を始め、1987年の11歳で1m40の記録が残っており、1992年の16歳には2m06と2mの大台突破を果たします。2004年アテネオリンピックでは2m36の記録で金メダルに輝きます。そして2005年のヨーロッパ室内選手権では屋内・屋外合わせ、初の2m40をマークし、世界の超一流の記録と称せられる領域に突入しました。
当然のことながら2007年の世界陸上でも優勝候補筆頭でしたが、ホルムは4位にとどまり、伏兵のドナルド・トーマスに優勝をかっさらわれます。2008年の北京オリンピックでも2m32の4位に終わり、メダル獲得できず、その年に引退しました。

ホルムは身長181㎝と日本でなら長身ですが、スウェーデンの平均身長が約181㎝なので、ほぼ平均並みの身長しかありません。そのため、陸上競技の動画でも『このSmall Guyがクリアしました』みたいな言われ方をしておりました。また、垂直跳びも60㎝程度で、これまた人並みしかないにもかかわらず、頭上59㎝である2m40㎝と、ものすごい高さをクリアしております。
しかし、NHKの番組で放送されたホルムの練習風景では、160㎝以上ある高さのハードルを軽々と連続して超えていきます。また、はさみ跳びでも2m10を超える映像が残されており、垂直跳びが大したことないと言っても、やはり上へ飛び上がる能力は大したものがあるのです。

さすがに長年にわたり鍛錬されてきた技術だけに、あのスピードを上昇力に生かしたジャンプは常人には真似できません。助走スピードが非常に速いため、バーからの距離が1m10㎝(たぶん、もっと離れていると思うが)と遠くから踏切、バーをクリアした後も、助走の速さからか、半回転するかのように落下していくさまは圧巻でした。
日本人選手からもホルム選手並の助走スピードを持ち、器用に高いバーをクリアして楽しませてくれる選手が出てくることを期待します。

走高跳(ドナルド・トーマス)

走高跳という競技自体がマイナーなためか、海外でも幼少の頃には競技をしておらず、他の跳躍力を必要とする競技や、意外な競技から転向して来た方々が結構います。
その中でもバハマのドナルド・トーマス選手は世界レベルでも有名な選手です。彼は190㎝の長身で、元々バハマのバスケットボール高校代表になるレベルの選手でした。特に跳躍力には自信があり、アメリカの大学にバスケット留学していたとき、陸上競技をしている友人から走高跳をやってみるように促され挑戦してみたところ、2006年には2m23㎝の高さを跳んでしまい、本格的に走高跳を開始して1年半後の2007年大阪世界陸上では、優勝候補筆頭であったステファン・ホルムらを抑え、なんと2m35㎝を跳び、優勝してしまいます。走高跳界では全く無名の存在でしたので、大番狂わせでした。早い助走スピードを生かした理想的なフォームで跳ぶホルムと対照的に、素人から見ると、手足をバタバタしたかのようなフォームで世界一になってしまったため、NHKでもホルムとトーマスを比較した番組が特集されるほどでした。

1年半で2m35をクリアし、この調子行けば、2m45の世界記録も簡単に塗り替えるのではないか、と期待されましたが、世の中そう甘い物ではなく、結局、2015年現在でもベストは2007年の大阪大会でマークした2m35を更新することが出来ておりません。(※2016年に自己ベスト2m37をマークしました)

フォームが素人っぽいと言われるトーマスですが、どちらかというと、助走が無くても、長いアキレス腱から生み出される瞬発力だけで上方へ跳ぶ力を生み出すことができるので、ホルムのような早い助走がないと跳べないスタイルとは異なります。ああやって手足でバランスを取らないと、クリアランスで体を上手くヒネることができないため、彼にとっては合理的な動きだったようです。ですので、言うほどフォームが下手なわけではなく、意味のある動きでした。ただし、起こし回転を利用しない跳び方であるため、彼の瞬発力を鍛えない限り限界が来てしまうことが明らかであったため、ホルムのような跳び方を目指しましたが、故障のため、上手くいきませんでした。
ただし、31歳になった2015年現在でも2m34をクリアしており、世界一流レベルにはあります(というか、日本記録より記録が良い)ので、比較的長い選手寿命を保っております。これは彼がパワーフロップという瞬発力重視の跳び方のため、起こし回転利用の跳び方に比べ、足首へかかる負荷が少ないため、選手寿命を延ばす効果があったのかもしれません。世界的には一流の部類ではありますが、それでも、現在ではバーシム、ボンダレンコといった2m40㎝以上を複数回超えている選手と差があるのは否めません。

それでも、非常にインパクトのある選手で、走高跳界の一世を風靡しておりました。また、バスケットボール界から走高跳へ転向する方が出てくることを期待します。