走高跳(醍醐直之)

現在の走高跳の日本記録は醍醐直之が2006年にマークした2m33㎝です。世界記録は1993年、ハビエル・ソトマヨルのマークした2m45㎝で、既に22年が経過しております。一時期は2m40㎝をマークしたものもほとんどおらず、世界記録更新は絶望的と思われましたが、2014年、2015年にバーシム2m43㎝、ボンダレンコ2m42㎝、ウコフ2m41㎝、プロチェンコ2m40㎝、ドリューイン2m40㎝とアウトドアで5人クリアし、インドアでドミトリク2m40㎝をクリアしております。特にバーシム、ボンダレンコは2m40の高さを割と余裕を持ってクリアしており、世界記録更新も期待されております。

この状況で、日本人の状況はというと、戸邉2m31㎝、江藤2m28㎝、高張2m28、平松2m28㎝と近年クリアできなかった世界陸上標準参加記録を4人クリアするなどレベルアップしてきております。

しかし、マラソンや100mと違い、競技的にあまりにマイナーなため、走高跳トップ選手達も学校卒業後は苦難の道を歩んでいたりします。そういった、陸上競技界以外では話題にもならないトップ選手の実情について、記事にしたいと思います。

まずは日本記録保持者の醍醐直之選手となります。
醍醐は中学生時代ハンドボール部でした。本当はバスケットボールをしたかったようですが、部活になかったため、やむなく選択したようです。中2のときにバスケットゴールへダンクして遊んでいると、陸上部の先生から走高跳をしないか、と勧められました。ちなみにバスケットボールのゴール高さは305㎝あり、ダンクするには手が20㎝以上は出ないとまともにできません。醍醐は中学時代の身長は不明ですが、1m82㎝と長身なので、指高仮に2m30あったとしても1m近くは飛んでいたと思われます。
このほぼ素人状態からスタートし、1995年、中学3年の時には1m92㎝をクリアし、中学ランキング上位にいきなり入ります。
高校に入学してからは、高1で2m08㎝、高2で2m19㎝、高3で2m18㎝と順調に高校歴代でもトップクラスの記録をマークし、注目されました。

しかし、ここまで有り余る才能で走高跳の記録を伸ばしてきましたが東海大学へ進学後、大学1年で2m21㎝をマークした後はこの記録を大学生のうちに超えることはありませんでした。真摯に走高跳へ向かい合えば向かい合うほど、プレッシャーがかかり、精神的に追い詰められてしまったようです。
ぱっとしなかった大学時代でしたが、卒業時に、もう1年走高跳に専念しようということでフリーターをしながら競技生活を続けます。そして2005年には2m27㎝をマークし、世界選手権出場を決め、フリーターの星として注目を受けます。この成果から富士通への入社を決めます。
さらに、2006年日本選手権では2位に13㎝の大差をつける2m33㎝の日本新記録で優勝を決めました。この時はなんと、
2m15○ 2m21○ 2m24××○ 2m27××○ 2m30××○ 2m33××○
と2m24からはことごとく3回目をクリアーするという高い精神力を発揮して、神がかっておりました。
2007年にも2m30をクリア、2009年に年度ベスト2m28、日本選手権2m24で優勝したのを最後に、2m20をクリアすることはなくなり第一線から外れるようになりました。
現在でも2m30以上をマークしたのはわずかに醍醐、君野、吉田、戸邉、阪本の5人で、しかも複数回マークしたのは醍醐、戸邉、阪本の3人しかいないということで、偉大さが分かると思います。

正直、凡人からすれば、大して練習しなくて1m92cm超えてしまうような天才を以てしても、社会人でのマイナー競技継続の難易度は高いことを実感し、こんな状況なのに、オリンピックの時だけメダル獲得が少ない、とか文句を言われるのではやっていられなくなる気持ちが分かります。

参考URL:
富士通陸上競技部 http://sports.jp.fujitsu.com/trackfield/field_eye/05daigo.html
JAAF選手名鑑 醍醐直之 http://www.jaaf.or.jp/fan/player/men007.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です