走高跳(境田裕之)

もう昔の人になってしまったので、知る人もいないでしょうが、境田裕之選手の1986年にマークされた中学記録2m10㎝は30年近く経過した2015年現在も更新される気配もなく守られています。また、1989年にマークされた当時の高校記録2m22㎝も戸邉選手に2009年に破られるまで20年間高校記録で、現在でも高校歴代2位となっております。

これだけすごい記録を達成しておりながら、大学、社会人では全く走高跳界の記録に姿を現しておりません。そのことについて記事にしたいと思います。

境田は1986年北海道旭川市立春光台中学校の3年生の時に2m10の日本中学記録をマークします。中学2年までは、ソース怪しいですが、1m70㎝台の記録しかなかったようです。それが急に躍進します。しかし、実を言うと、1986年に中学3年生であった世代は妙に走高跳のレベルが高く、中学歴代上位6人中、境田2m10、船橋2m07、松井2m06、と半数の3人もランキングしております。
ベビーブーム前半の世代で子供が多かったこともあるのでしょうが、はっきりした理由は分かりません。ただ、この世代が中2のとき、神戸で開催されたユニバーシアード世界大会で、当時ソビエト(現在はキルギス共和国)のイーゴリ・パクリンが当時の世界記録2m41をマークして盛り上がったことも関連しているかもしれません。何せ、私の住んでいた地区の当時の中学生の市内大会でさえ、190㎝以上の記録を持つジャンパーが3人もいるという状態で、今なら全国大会トップレベルがうじゃうじゃいた状態でした。

そして、境田が旭川北都商業高校に進学し、高1で2m10、高2で2m19、高3で2m22の当時の高校新記録をマークしました。ただ、ここまでハイレベルな記録をマークしながら、絶対王者だったかというと、そうではなく、高3のインターハイではライバルの海鋒が2m20の大会記録で優勝しています。1989年の高3世代では2m20以上の高校歴代6位タイ以上に境田、海鋒、葛西の3人が入っております。他の世代なら絶対王者として君臨しているような2m20以上の記録にも関わらず、この世代だけは例外です。
才能だけなら、日本記録保持者の醍醐直之以上のものを持っておりました。

当然のごとく陸上名門校の順天堂大学に進学します。ここからはほとんど情報らしき情報は公となっていないのですが、2ちゃんその他の非公式情報を基に記載します。もし、違っていたら、情報下さい。訂正させていただきます。
大学に進学したのですが、陸上競技でも特にマイナー競技である走高跳で食っていくことに疑問を感じた境田は、一つの結論を出します。『走高跳では飯を食っていけない。プロボウラーへ転向する』。当然大学関係者からは猛反対されますが、それを押切り、大学を中退してしまいます。
そして、2004年の情報ですが、この時には旭川ボウルコンパルというところに所属していたので、本当にプロボウラーになっていたようです。ただし、このボウリング場は2007年7月31日に閉鎖とのことで、これ以上の消息は不明です。

こうやって記事を作成していくと、やはりマイナー競技の場合、トップ選手でさえ将来を考えると、競技に集中できるのは学生時代までで、社会人の層が薄くなるのもやむを得ないような気がします。
陸上でマイナー競技選手を雇ってくれそうなところと言えば、富士通、スズキ、モンテローザあたりくらいしか思い浮かびません。一時期話題になった同じく走高跳の真鍋周平選手はトヨタですが、阪大工学系の修士ですので、競技者としての要素以外のことも考慮された可能性が高いです。
誰か、マイナー競技のパトロンになる人がいればいいのですが、2m40くらいクリアして、世界と争えるレベルならまだしも、宣伝にもならないのでは難しいでしょう。

1989年インターハイの走り高跳び動画を優勝した海鋒 佳輝さんがYoutubeにアップロードしているので、貼り付けしておきます。

2m06からなのに何人残っているんだ、というレベルの高さです。

薄紫色のユニフォームの選手が境田選手とのことですが、世界ジュニア選手権後の試合とのことでちょっと不出来なようです。

「走高跳(境田裕之)」への6件のフィードバック

  1. 境田裕之君の記事が読めて嬉しかった。私も同世代で北海道で陸上をやっていました。彼のジャンプに魅了し、スポーツカメラマンになるために、上京しました。が、ここに記載されているように、カメラマン仲間から彼が中退して北海道へ帰ったことを知ったのは、もう30年近くも前のこと。懐かしく読ませてもらいました。葛西君も北海道で、「カッコつけ男」と我々は読んでいました。

    1. 記事をご覧いただき、コメントありがとうございます。
      境田選手が大学以降の走高跳ランキングに上がってこないのが何故かと思い、色々調べると、プロボウラーになったということで、陸上を辞めてしまったことは残念でした。
      私も同年代ですが、時代的にまだバブルの影響もあり、明るく、何かに打ち込んで飛び抜けた連中が色々な分野でいたような気がします。
      懐かしの選手含めて記事挙げておりましたが、何か、悪口みたいな内容も書いてしまうことになりモチベーションも出ず、最近はほぼ休眠中ブログとなっておりますが、“星の王子さま”様のように懐かしく思っていただける方が1人でもおられるのなら、本ブログも置いておこうかなと思いました。ありがとうございました。

  2. 境田さんの記事を嬉しく拝見しました。
    彼が北都商業3年のころ、私は旭川ボールコンパルで
    アルバイトしていました。
    彼は同級生とよく来ていました。
    皆さん上手でしたが、まさか、その後高跳びを辞めて、
    プロボーラを目指していたなんて。
    私も春光台住みだったこともあり、一度だけ私のバイクの後ろに乗せて帰ったことがあります。
    高校世界チャンピオンを後ろに乗せて緊張したなぁ。
    いまどうされているかわかりませんが、
    きっと素敵な大人になっていると思います。
    今の世界でのご活躍を祈念しています。

    1. たけか様
      コメントありがとうございます。
      境田選手は高校時代からボウリングよくされていたんですね。走り高跳びの高校記録保持者(当時)をバイクに乗せたことあるというのはなかなか貴重な体験ですね。
      境田選手のお名前を検索すると、プロボウラーとは異なる意外な職業でご本人っぽい方が見つかりますので、きっと、新たな道で頑張っておられることと思います。

  3. 境田・葛西と同期で、私も走り高跳びでインターハイ(高知県)に出ました。なので海鋒選手の優勝した時は、生で見てました。

    境田・葛西は同期ですが、我らのヒーローでした。確か、はまなす国体でも良い成績だったはずで、ニュース番組でも、境田と葛西が遠隔で対談していたはずです。
    ちなみに、国体は私は予選落ちです。笑

    この世代はやたらレベルが高く、予選通過がすごい高く設定されていた記憶があります。
    あいつらのせいだ!と半分恨んでましたが、レベルが違い過ぎるので、諦めもついてました。

    奴らは今何をしているのか。お互い顔見知りなので、いつか再開し一緒に酒でも飲みたいものです。皆今年で52才になります。
    ヒーロー達のおっさんっぷりを見てみたいものです。笑笑

  4. EVO様
    コメントありがとうございます。
    高知インターハイ出場者とのことですごいですね。
    私は別の記事にもある通り、同じ市内の中学生ですでに1m90以上跳ぶ選手が3人もいて絶望感も大きく、高校では諦めて競技していません。
    なぜか前後2年くらいの走高跳が異常にレベル高かったですね。
    ファミコンが小6、中1辺りに普及しだしましたが、我々の年代は子供の頃まだ外で走り回る感じの遊びが多かったので、無駄に身体能力が高くなっていたのかもしれません。
    長距離やマラソンしている選手たちと違い、走高跳は日本でマイナーなので、元トップ選手たちも普通の目立たないおじさんになっているのでしょうか。
    私は小さい頃の万能感などとうの昔に消滅し平凡に生きていますが、このような弱小ブログの記事でEVOさんのような同年代の人からもコメントもらえるようになるとは思っておりませんでした。
    EVOさんもインターハイ出場者の方々と同期会で集まられると面白そうですね。

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