走高跳(ステファン・ホルム)

前回、ドナルド・トーマスの話を書きましたが、やはり、ライバルとして取り上げられていたこの人の話は避けることができません。
ステファン・ホルムは偉大なるハイジャンパーであるパトリック・ショーベリーを生んだスウェーデン出身です。幼少の頃から走高跳を始め、1987年の11歳で1m40の記録が残っており、1992年の16歳には2m06と2mの大台突破を果たします。2004年アテネオリンピックでは2m36の記録で金メダルに輝きます。そして2005年のヨーロッパ室内選手権では屋内・屋外合わせ、初の2m40をマークし、世界の超一流の記録と称せられる領域に突入しました。
当然のことながら2007年の世界陸上でも優勝候補筆頭でしたが、ホルムは4位にとどまり、伏兵のドナルド・トーマスに優勝をかっさらわれます。2008年の北京オリンピックでも2m32の4位に終わり、メダル獲得できず、その年に引退しました。

ホルムは身長181㎝と日本でなら長身ですが、スウェーデンの平均身長が約181㎝なので、ほぼ平均並みの身長しかありません。そのため、陸上競技の動画でも『このSmall Guyがクリアしました』みたいな言われ方をしておりました。また、垂直跳びも60㎝程度で、これまた人並みしかないにもかかわらず、頭上59㎝である2m40㎝と、ものすごい高さをクリアしております。
しかし、NHKの番組で放送されたホルムの練習風景では、160㎝以上ある高さのハードルを軽々と連続して超えていきます。また、はさみ跳びでも2m10を超える映像が残されており、垂直跳びが大したことないと言っても、やはり上へ飛び上がる能力は大したものがあるのです。

さすがに長年にわたり鍛錬されてきた技術だけに、あのスピードを上昇力に生かしたジャンプは常人には真似できません。助走スピードが非常に速いため、バーからの距離が1m10㎝(たぶん、もっと離れていると思うが)と遠くから踏切、バーをクリアした後も、助走の速さからか、半回転するかのように落下していくさまは圧巻でした。
日本人選手からもホルム選手並の助走スピードを持ち、器用に高いバーをクリアして楽しませてくれる選手が出てくることを期待します。

走高跳(ドナルド・トーマス)

走高跳という競技自体がマイナーなためか、海外でも幼少の頃には競技をしておらず、他の跳躍力を必要とする競技や、意外な競技から転向して来た方々が結構います。
その中でもバハマのドナルド・トーマス選手は世界レベルでも有名な選手です。彼は190㎝の長身で、元々バハマのバスケットボール高校代表になるレベルの選手でした。特に跳躍力には自信があり、アメリカの大学にバスケット留学していたとき、陸上競技をしている友人から走高跳をやってみるように促され挑戦してみたところ、2006年には2m23㎝の高さを跳んでしまい、本格的に走高跳を開始して1年半後の2007年大阪世界陸上では、優勝候補筆頭であったステファン・ホルムらを抑え、なんと2m35㎝を跳び、優勝してしまいます。走高跳界では全く無名の存在でしたので、大番狂わせでした。早い助走スピードを生かした理想的なフォームで跳ぶホルムと対照的に、素人から見ると、手足をバタバタしたかのようなフォームで世界一になってしまったため、NHKでもホルムとトーマスを比較した番組が特集されるほどでした。

1年半で2m35をクリアし、この調子行けば、2m45の世界記録も簡単に塗り替えるのではないか、と期待されましたが、世の中そう甘い物ではなく、結局、2015年現在でもベストは2007年の大阪大会でマークした2m35を更新することが出来ておりません。(※2016年に自己ベスト2m37をマークしました)

フォームが素人っぽいと言われるトーマスですが、どちらかというと、助走が無くても、長いアキレス腱から生み出される瞬発力だけで上方へ跳ぶ力を生み出すことができるので、ホルムのような早い助走がないと跳べないスタイルとは異なります。ああやって手足でバランスを取らないと、クリアランスで体を上手くヒネることができないため、彼にとっては合理的な動きだったようです。ですので、言うほどフォームが下手なわけではなく、意味のある動きでした。ただし、起こし回転を利用しない跳び方であるため、彼の瞬発力を鍛えない限り限界が来てしまうことが明らかであったため、ホルムのような跳び方を目指しましたが、故障のため、上手くいきませんでした。
ただし、31歳になった2015年現在でも2m34をクリアしており、世界一流レベルにはあります(というか、日本記録より記録が良い)ので、比較的長い選手寿命を保っております。これは彼がパワーフロップという瞬発力重視の跳び方のため、起こし回転利用の跳び方に比べ、足首へかかる負荷が少ないため、選手寿命を延ばす効果があったのかもしれません。世界的には一流の部類ではありますが、それでも、現在ではバーシム、ボンダレンコといった2m40㎝以上を複数回超えている選手と差があるのは否めません。

それでも、非常にインパクトのある選手で、走高跳界の一世を風靡しておりました。また、バスケットボール界から走高跳へ転向する方が出てくることを期待します。

走高跳(織田久史)

全国区では有名でありませんが、走高跳の現在でも兵庫県高校記録2m16㎝を持っている、織田久史選手について記事にします。

実は中学時代に織田選手が市内大会で走高跳出場していたのを生で見ました(ご本人とは特に面識はありません)。この時は足を痛めていたとのことで、1m77㎝(だったと思うが、30年ほど前なので不正確です)で3位に甘んじていました。
当時兵庫県の明石市走高跳界では、植田、織田、清水という3強がいて、この3名が190㎝オーバーの記録を持ち、4位以降は160㎝台と言った状態のため、3強が最初の高さを跳ぶ頃には4位以下が誰も残っていない、という状況でした。
中学時代のベストは、ネットに残っている市内記録や大会記録の資料を整理する限り、植田1m94、織田1m94、清水1m93だったようです。この3強が兵庫県大会くらいまでは上位3人を占めており、他の人が入る余地もありませんでした。さすがに近畿大会とかになると2mジャンパーも存在しており、独占できなかったようです。
中学時代は植田選手が最も大会の成績が良く、記録が見つからないので、はっきりした順位はかけませんが、全中でも入賞していたように思います。高校1年の時には2m05を跳んでいます。清水選手は見た印象、ややずんぐりした感じで、走高跳がそんなに跳べそうな感じではなかったのですが、3種競技の100mでは11秒9で走っていて、結構びっくりしました。そして、織田選手は2番手というイメージでした。
そして、織田は魚住中学から明石西高校へ進学し、高3の時に兵庫県高校記録の2m16㎝をマークします。これも1989年の記録ですが、30年近くたった2015年現在でも破られておりません。高校の時は陸上競技していなかったので、リアルで織田選手を見ることはなかったのですが、176㎝の身長で頭上40㎝を超えるというのはすごいことです。
大学も女子走高跳佐藤恵らも通った、名門の福岡大学へ進学したようですが、大学走高跳20傑内に残っていないので、大学では走高跳をやらなかったのかもしれません。

今まで記事に取り上げてきた日本の走高跳トップの方々は結局苦難の道に挫折したり、別の道へ転向したりといった暗い話しかありませんでした。しかし、織田選手はなんと、株式会社ダイハツ明石西の社長さんとしてご活躍されております。色々と表彰を受けたりしており、非常に優秀な経営者として、違う道でも立派に生きていかれております。

走高跳(境田裕之)

もう昔の人になってしまったので、知る人もいないでしょうが、境田裕之選手の1986年にマークされた中学記録2m10㎝は30年近く経過した2015年現在も更新される気配もなく守られています。また、1989年にマークされた当時の高校記録2m22㎝も戸邉選手に2009年に破られるまで20年間高校記録で、現在でも高校歴代2位となっております。

これだけすごい記録を達成しておりながら、大学、社会人では全く走高跳界の記録に姿を現しておりません。そのことについて記事にしたいと思います。

境田は1986年北海道旭川市立春光台中学校の3年生の時に2m10の日本中学記録をマークします。中学2年までは、ソース怪しいですが、1m70㎝台の記録しかなかったようです。それが急に躍進します。しかし、実を言うと、1986年に中学3年生であった世代は妙に走高跳のレベルが高く、中学歴代上位6人中、境田2m10、船橋2m07、松井2m06、と半数の3人もランキングしております。
ベビーブーム前半の世代で子供が多かったこともあるのでしょうが、はっきりした理由は分かりません。ただ、この世代が中2のとき、神戸で開催されたユニバーシアード世界大会で、当時ソビエト(現在はキルギス共和国)のイーゴリ・パクリンが当時の世界記録2m41をマークして盛り上がったことも関連しているかもしれません。何せ、私の住んでいた地区の当時の中学生の市内大会でさえ、190㎝以上の記録を持つジャンパーが3人もいるという状態で、今なら全国大会トップレベルがうじゃうじゃいた状態でした。

そして、境田が旭川北都商業高校に進学し、高1で2m10、高2で2m19、高3で2m22の当時の高校新記録をマークしました。ただ、ここまでハイレベルな記録をマークしながら、絶対王者だったかというと、そうではなく、高3のインターハイではライバルの海鋒が2m20の大会記録で優勝しています。1989年の高3世代では2m20以上の高校歴代6位タイ以上に境田、海鋒、葛西の3人が入っております。他の世代なら絶対王者として君臨しているような2m20以上の記録にも関わらず、この世代だけは例外です。
才能だけなら、日本記録保持者の醍醐直之以上のものを持っておりました。

当然のごとく陸上名門校の順天堂大学に進学します。ここからはほとんど情報らしき情報は公となっていないのですが、2ちゃんその他の非公式情報を基に記載します。もし、違っていたら、情報下さい。訂正させていただきます。
大学に進学したのですが、陸上競技でも特にマイナー競技である走高跳で食っていくことに疑問を感じた境田は、一つの結論を出します。『走高跳では飯を食っていけない。プロボウラーへ転向する』。当然大学関係者からは猛反対されますが、それを押切り、大学を中退してしまいます。
そして、2004年の情報ですが、この時には旭川ボウルコンパルというところに所属していたので、本当にプロボウラーになっていたようです。ただし、このボウリング場は2007年7月31日に閉鎖とのことで、これ以上の消息は不明です。

こうやって記事を作成していくと、やはりマイナー競技の場合、トップ選手でさえ将来を考えると、競技に集中できるのは学生時代までで、社会人の層が薄くなるのもやむを得ないような気がします。
陸上でマイナー競技選手を雇ってくれそうなところと言えば、富士通、スズキ、モンテローザあたりくらいしか思い浮かびません。一時期話題になった同じく走高跳の真鍋周平選手はトヨタですが、阪大工学系の修士ですので、競技者としての要素以外のことも考慮された可能性が高いです。
誰か、マイナー競技のパトロンになる人がいればいいのですが、2m40くらいクリアして、世界と争えるレベルならまだしも、宣伝にもならないのでは難しいでしょう。

1989年インターハイの走り高跳び動画を優勝した海鋒 佳輝さんがYoutubeにアップロードしているので、貼り付けしておきます。

2m06からなのに何人残っているんだ、というレベルの高さです。

薄紫色のユニフォームの選手が境田選手とのことですが、世界ジュニア選手権後の試合とのことでちょっと不出来なようです。

走高跳(醍醐直之)

現在の走高跳の日本記録は醍醐直之が2006年にマークした2m33㎝です。世界記録は1993年、ハビエル・ソトマヨルのマークした2m45㎝で、既に22年が経過しております。一時期は2m40㎝をマークしたものもほとんどおらず、世界記録更新は絶望的と思われましたが、2014年、2015年にバーシム2m43㎝、ボンダレンコ2m42㎝、ウコフ2m41㎝、プロチェンコ2m40㎝、ドリューイン2m40㎝とアウトドアで5人クリアし、インドアでドミトリク2m40㎝をクリアしております。特にバーシム、ボンダレンコは2m40の高さを割と余裕を持ってクリアしており、世界記録更新も期待されております。

この状況で、日本人の状況はというと、戸邉2m31㎝、江藤2m28㎝、高張2m28、平松2m28㎝と近年クリアできなかった世界陸上標準参加記録を4人クリアするなどレベルアップしてきております。

しかし、マラソンや100mと違い、競技的にあまりにマイナーなため、走高跳トップ選手達も学校卒業後は苦難の道を歩んでいたりします。そういった、陸上競技界以外では話題にもならないトップ選手の実情について、記事にしたいと思います。

まずは日本記録保持者の醍醐直之選手となります。
醍醐は中学生時代ハンドボール部でした。本当はバスケットボールをしたかったようですが、部活になかったため、やむなく選択したようです。中2のときにバスケットゴールへダンクして遊んでいると、陸上部の先生から走高跳をしないか、と勧められました。ちなみにバスケットボールのゴール高さは305㎝あり、ダンクするには手が20㎝以上は出ないとまともにできません。醍醐は中学時代の身長は不明ですが、1m82㎝と長身なので、指高仮に2m30あったとしても1m近くは飛んでいたと思われます。
このほぼ素人状態からスタートし、1995年、中学3年の時には1m92㎝をクリアし、中学ランキング上位にいきなり入ります。
高校に入学してからは、高1で2m08㎝、高2で2m19㎝、高3で2m18㎝と順調に高校歴代でもトップクラスの記録をマークし、注目されました。

しかし、ここまで有り余る才能で走高跳の記録を伸ばしてきましたが東海大学へ進学後、大学1年で2m21㎝をマークした後はこの記録を大学生のうちに超えることはありませんでした。真摯に走高跳へ向かい合えば向かい合うほど、プレッシャーがかかり、精神的に追い詰められてしまったようです。
ぱっとしなかった大学時代でしたが、卒業時に、もう1年走高跳に専念しようということでフリーターをしながら競技生活を続けます。そして2005年には2m27㎝をマークし、世界選手権出場を決め、フリーターの星として注目を受けます。この成果から富士通への入社を決めます。
さらに、2006年日本選手権では2位に13㎝の大差をつける2m33㎝の日本新記録で優勝を決めました。この時はなんと、
2m15○ 2m21○ 2m24××○ 2m27××○ 2m30××○ 2m33××○
と2m24からはことごとく3回目をクリアーするという高い精神力を発揮して、神がかっておりました。
2007年にも2m30をクリア、2009年に年度ベスト2m28、日本選手権2m24で優勝したのを最後に、2m20をクリアすることはなくなり第一線から外れるようになりました。
現在でも2m30以上をマークしたのはわずかに醍醐、君野、吉田、戸邉、阪本の5人で、しかも複数回マークしたのは醍醐、戸邉、阪本の3人しかいないということで、偉大さが分かると思います。

正直、凡人からすれば、大して練習しなくて1m92cm超えてしまうような天才を以てしても、社会人でのマイナー競技継続の難易度は高いことを実感し、こんな状況なのに、オリンピックの時だけメダル獲得が少ない、とか文句を言われるのではやっていられなくなる気持ちが分かります。

参考URL:
富士通陸上競技部 http://sports.jp.fujitsu.com/trackfield/field_eye/05daigo.html
JAAF選手名鑑 醍醐直之 http://www.jaaf.or.jp/fan/player/men007.html

ジャッキー・ジョイナー・カーシー(その2)

前回、ジャッキー・ジョイナー・カーシー選手の7種競技の成績を日本の成長株ヘンプヒル恵選手と比較しましたが、全てにおいてカーシー選手が圧倒しておりました。
そこで、もう少し各種目骨のある選手ということで、第99回日本陸上競技選手権に出場した場合どうなるのかを記載してみます。
第99回日本陸上競技選手権は2015年6月26~28日の3日間で実施されました。公式サイトから記録を拝借します。

種目 日本選手権優勝者 カーシー
100mH 13秒27 (1084点) ① 12秒69 (1172点)
走高跳 1m81 (991点) ① 1m86 (1054点)
砲丸投 15m65 (904点) ① 15m80 (915点)
200m 23秒23 (1056点) ① 22秒56 (1123点)
走幅跳 6m21 (915点) ① 7m27 (1264点)
やり投げ 59m11 (1037点) ⑰ 45m66 (776点)
800m 2分8秒20 (991点) ② 2分8秒51 (987点)
合計 6978点 7291点

※日本選手権優勝者の得点換算はUSATF:http://www.usatf.org/statistics/calculators/combinedeventsscoring/
の換算表を使用しました。

何と、やり投げと800m以外の5種目はもしカーシー選手が日本陸上競技選手権に出場していたなら優勝している記録であり、800mも2位という、6種目で日本代表級の実力を持っていることを示す結果となりました。日本選手権者7人をかき集めてもさすがにヘンプヒル選手よりは健闘しているものの、7000点を超えることが出来ないのです。
しかも、カーシー選手は2日間で全ての競技をこなしているので、本当に日本選手権者に勝利している5種目だけ出場していたなら、5種目優勝できた可能性は高かったことでしょう。

本当に強い選手は何でもできてしまうところが恐ろしいです。

ジャッキー・ジョイナー・カーシー(その1)

誰も見ないブログなので自由なことを書いて行こうと思います。

スポーツはそんなに得意ではないのですが、好きな競技は何か、というと陸上競技だったりします。本競技はもうオリンピックイヤーの4年に1度、それも日本人選手が活躍しそうなマラソンとか、室伏選手の出るハンマー投げくらいしか注目を浴びない、非常にマイナースポーツです。そのため、マラソン以外の選手たちは社会人でとてつもなく苦労しながら競技を続行していたりします。あるいは高校や大学を卒業すると、非常に高いレベルにあった選手でさえ、競技から引退してしまうことも多々あります。さらに、その競技のトップ選手でさえ、競技生活に見切りをつけ、別の道へ転向するという話も多いです。これらについては後日記事にしたいと思います。

私の場合、陸上競技といっても、フィールド競技、特に跳躍系の競技が好きなのですが、日本ではなかなかTV放映されることはありません。辛うじて、世界レベルにある唯一の存在である室伏選手が競技しているハンマー投げ、村上選手やディーン元気選手、新井選手など80m超えるレベルの高いやり投げが話題に多少なるくらいです。跳躍競技に至っては、走高跳は近年世界的にレベルアップが進み、日本でも2m28以上を現役で4人マークするなど活気づいていますが、それでも世界記録と日本記録で12㎝差あり、とてもオリンピックのメダルに届くというのはおろか、予選通過すれば大成功といった状況です。三段跳びに至っては1986年山下訓史選手のマークした17m15を破る選手が現れるどころか、17mを超えそうな選手でさえ日本には存在しません。

そんな状況なので、日本のTV的に全く放映価値なしとみなされている陸上フィールド競技ですが、そういったマイナー競技にスポットを当てたいと思います。

今回は女子七種競技について記述していきます。男子十種競技はヨーロッパでKing of sportsとして賞賛される人気競技ですが、女子の場合Queen of Sportsと言われているかどうかは知りません。たぶん言われてないと思いますが。
この競技にもかつてスーパースターが存在していました。それはアメリカのジャッキー・ジョイナー・カーシー選手です。
まず七種競技というのを説明します。1日目に100mハードル、走高跳、砲丸投、200mを、2日目には走幅跳、やり投げ、800mを行うという超ハードな競技です。これは各種目の記録ごとに得点換算され、その合計点を競うというものです。
この競技でカーシーは1988年のなんとソウルオリンピック本番で7291点の世界記録をマークします。普通の選手はオリンピックのような大きな大会では優勝を狙い、記録は狙いに行かないものなのですが、カーシーの場合は既にライバルと言えるような選手はおらず、記録との勝負となっていました。ちなみに世界歴代二位の記録は7032点のクリュトフで、200点以上の差があり、7000点を超えているのはカーシー含め3人しかいません。

ちなみにカーシーの世界記録7291点を出した時の内訳は
100mH 12秒69
走高跳 1m86
砲丸投 15m80
200m  22秒56
走幅跳 7m27
やり投げ 45m66
800m 2分8秒51
でした。
これがどうすごいのか良くわからないと思います。
そこで、日本で結構話題になったヘンプヒル恵選手の5678点の内訳と比較してみましょう。

種目 ヘンプヒル恵 カーシー
 100mH  13秒46 (1056点)  12秒69 (1172点)
 走高跳  1m63 (771点)  1m86 (1054点)
 砲丸投  10m78 (581点)  15m80 (915点)
 200m  24秒99 (888点) 22秒56 (1123点)
 走幅跳  5m81 (792点)  7m27 (1264点)
やり投げ  40m49 (677点)  45m66 (776点)
800m  2分13秒54 (913点)  2分8秒51 (987点)
合計  5678点  7291点

カーシー選手は専門が走り幅跳びで、ヘンプヒル選手は100mH専門ですので、まあヘンプヒル選手が100mH以外勝てないのは仕方ないですね。あれっ、100mHも何かカーシー選手はすごいですね。はっきりいって、七種競技で900点越えているような競技は日本選手権に出場できるような競技レベルにあります。また1000点越えているような競技は日本選手権で入賞が狙えるレベルにあります。1100点を超えるような競技は日本No.1が狙えるか、超えています。ということでヘンプヒル選手の100mH、200m、800mのレベルは日本女子としてはトップクラスに位置しているのですが、カーシー選手はやり投げを除く種目で入賞、あるいは日本選手権優勝するような記録なのです。もしカーシー選手が日本選手であれば、やり投げ以外の6種目で日本代表で出場してもさほど見劣りしない記録を持っているということです。これはとんでもないレベルだということがお分かりでしょう。

就活・新卒から会社員になる方法

現在日本では大学の進学率も上昇し、理系では大学院進学も普通になってきている。
いわゆる学校での教育期間を終えた学生たちはいずれ、何らかの形で金を稼ぐ方法を得る必要がある。
その方法には
①起業して自力で収入を得る
②他人から雇われる対価として収入を得る
③金融資産や財産を基に投資のリターンで生活をする
という方法が考えられる。③については特殊な状況でないと成立しないため省略する。①についてもいずれネタにしたいと考えている。そして、大部分の学生が選択するのは②の他人から雇われる対価として収入を得る方法である。これについて述べていきたい。

まず、他人から雇われる対価として収入を得る、ということでいわゆる会社員や店員といった形で採用通知を得ることが必要となる。もし今この文章を読んでいる人がいれば『能書きはいらんからさっさとその方法を教えろ』と言うに違いないが、順序立てて話していくのでしばらくお付き合いいただきたい。

会社員になる=企業に採用される、というためには、企業が必要とする人材になればいいのである。何を当たり前のことを言っているんだお前、頭悪いんか、とお思いだろう。しかし、私は本気である。みんなこの部分を取り違えているのである。
例えば、就職には英語力が必要だとか、資格が必要だとか言う人がいる。はっきり言うとそんなことは、余程切羽詰って、ピンポイントでこの資格者を選任しないと困る、という場合でもない限りありえない。実際実務やっていればわかるが、たいていの資格は欠員出たらいつまでに取ってね、とか言われて、講習受けさせに行って認定してもらえば済んだりする。例外は建設業で、この分野は本当に資格がないと始まらないので、入社後は経験年数得てから資格取得に励むことになる。
英語についても入社時TOEIC受けさせたりするが、実際はどのくらい英語に対するポテンシャルがあるか確認するためだけであり、こんなもんの点数が高いからすぐ海外対応させる、ということもない。英語だけ出来て基本となる技術が分からない奴より、英語はできなくても基本技術力の高い奴の方がよっぽど海外で仕事する場合役に立つのである。

そもそも企業が人を採用するのは、
(1)定年で辞めていく人数分の補充
(2)途中で退職する人がいるため、欠員の補充
(3)事業拡大に伴い新たな人員確保
(4)取りあえず定期的に採用しとかないと、売り手市場の時に人を雇えないので、年度行事として採用
といった理由が挙げられる。そして、余程のことがない限り、どの仕事に新たな人を割り当てようというかを考えて採用しているのである。よって、この割り当てるべき仕事に当てはまらない方はいくら世の中で優秀とされる学歴や資格、英語力があっても採用されないのである。
こういう役割を認識していくと、(3)の理由以外の場合、既にある仕事の補充ということになるので、その会社がどういう歴史を持ち、どういうビジネスモデルで利益を上げ、どういう商材を扱っているかを理解した上で、自分が役割を果たせるかどうかを考えて戦略を立てねばならない。

無名校からの東大合格作戦

近年では、東大に受かる家庭は年収の高いところが多い、というような統計結果が出ていたりする。
家計的に恵まれない奴は勉強して一発逆転人生、的なイメージがあったが、それもかなわない世の中なのだろうか。

昔ほど、東大に入学することについて、経済的メリットは大きくない世の中とはいえ、少なくとも学歴について他人にとやかく言われないで済むというメリットはある。

では無名校から東大に進学した人はどんな人種であろうか? 進学校から東大に合格した人の話は色々聞けるだろうが、地方公立の無名校(東大合格者がほぼ過去いないような高校)から東大に合格した人の話を中々聞くことはできない。しかし、今回は本人から話を聞き、そういう発想をするのかと思ったので発表する。

彼は中学では上位の成績だったが、だいぶ昔に、近くの公立高校へ入学し、20番前後の成績だったらしい。そのとき、トップの人は外部の模擬試験で名前を載せており、すごいな、という風に思っていた。ところが、ひょんな理由から、高1の冬くらいから勉強を始め、高2の夏頃には模擬試験に名前が載るようになり、高3では東大・京大受験を意識し始め、東大模試でもA判定が出て、そのまま現役合格した。そんな彼が言うには、『無名公立高校で東大に行くには、周りと違うことを苦にしないことが必要である。こんな高校で勉強している奴は異端なので、人と違うということに耐えられないようではやってられない。』とのことであった。なので、無名高校から東大に行くような人たちはやはり変わっている人が多いのである。
また、孤独にやたら強いので、無名校から東大に行く人たちはたくましかったりする。どちらかというと中途半端に進学校から東大とか難関大に行った人たちの方がひ弱でメンタルやられている人が多かったりする。これは高校が進学校にいることで、下手にエリート感を持っていたのに、大学に進学したら、もっとすごい連中をみて凹んでしまい、エリートというアイデンティティーが保てなくなってしまうのが大きい。

ということで、ボッチで耐えられるという能力が無名校で学業的に成功する要因の重大要素である。

日本人は英語が得意です

世の中の雑誌やネット、その他で、日本人は英語ができない、と判で押したように主張している。そんなに卑下して何が楽しいんだろうというくらいに。
そういう主張を行う根拠は大体、
(1)日本国内で英語で話しかけられて答えられない
(2)TOEFLの点数が低い
(3)10年以上英語を勉強してろくに英会話もできない
というものである。
(1)についてはまあ、当たり前だろう。日本語が標準言語として普及している国内で英語で話しかける奴の方が異端である。これが逆に私がアメリカに行って日本語で話しかけて日本語が通じないと怒るか、と言えば、そんなことで怒る気にもならないし、アメリカ人はろくに日本語も話せない、とか言うわけもないのである。
(2)については日本のTOEFLの点数は下から数えた方が早いのも事実である。しかし、まず韓国以外の他の国と比べると、受験人口が違いすぎる。大部分の国ではTOEFLを受けるのも高く、選ばれたエリートが受験するため、点数も高くなる。一方、日本の場合、本気で留学する連中、日本の大学に入り損ねたので、取りあえず海外へ行っておこう、といった連中、学校で無理やり受けさせられた連中とかの平均のため、点数も低く出やすい。英語ができないというより、受ける必要の無い連中が点数を下げているのである。
(3)10年以上英語を勉強してろくに英会話もできない、というのが学校の授業を言っているのであれば、当たり前である。
例えば、将棋を指すようになるときに、10年かけてルールを細切れに覚えて(文法に相当)、1局のプロの対局を10年かけてじっくり説明を受け(長文読解)、実践はほとんど打った(英会話練習、英語の読書)こともないくせに、実際の対局(英会話)でプロ(ネイティブスピーカー)に英語が通じないとか、英語が読めないとか言っているようなものである。そんな授業を10年聞き流しているだけで上達するのなら、どんな分野でもプロ級の連中だらけになる。そんなこともわからずに学校の授業のせいにしているのは笑止千万である。

では日本人が英語を得意としている根拠はというと、
(1)私は英語が話せません、と正確に英語で言える
(2)和製英語と言われようが、元々英語だった単語を相当数知っている
(3)たとえ英語が良くわからないという人でも、恐るべき推察力で何が求められているかを理解することができる
ということである。
(1)について、I can’t speak English.と日本人は英語話せないという。しかしアメリカ人や中国人だったら、“私は日本語話せません”とかいう内容が話せれば、もう、日本語話せます、と言い切ってしまう。要するに日本人の考える英語話せる、というレベルが高すぎるのである。海外基準なら、本当は英語が話せるのであるが、日本人の自虐ネタのせいで、それが海外にも伝わり、日本人は英語が話せないという伝説が広まっているのである。
(2)はもう日本人自身意識していないが、ペン、ルール、アダルト、ラジオ、テーブル、デスク、テスト、ギター、バイオリン、ピアノ、テレビ、ソックス、セーター、ミンチ、スライス、チーズ、トマト、エッグマフィン、アイデンティティー、ユビキタス、コンパチブル、・・・等々、日本語チックな発音とはなっているが、多数の単語を使っているのである。これは外来語をそのままカタカナにして使っている単語が多いためであり、海外の言葉をそのまま取り入れるすべを持つ日本人は英語が本来できるのである。
(3)は元々日本語自体、『あれはどうなった?』とか『あの件は上手いことやって、奴を出し抜いた』とかもう指示語多様の文章でも内々では通じてしまうことが良くある。これが英語でも適用され、英語が話されている状況とわずかにわかる状況と、日本人的感性と先読みで、なんと大体意思疎通ができてしまったりする。要するに、たとえ英語の音声を発することは得意でなくても、相手の言っていることを理解してしまう能力は高いのである。

結論として、日本人は英語が苦手、10年勉強しても英語ができない、と卑下するのは止めて、日本人は英語の天才で、得意なのだ、と思ってよいのである。